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おぉ、ついに自分より若い人が新書を書く! こういう時に人は歳をとったと実感する。それはさておき、本書はご時世に合わせた売らんかなのタイトルで、息の短い商品になると思う。興味深い分析をしているがゆえに残念だ。
日中韓の経済・雇用の変化の歴史をまとめることで、それに伴う「雇用感」の変化や「社会のムード」を上手に表現できている。特に雇用の側面から見た世代間のギャップは新鮮で示唆に富む。特にバブル期以降、日本の産業界が若年世代をフリーターというバッファーとして位置付けてきた話や、中国の文革後の世代間の職業意識のずれなど興味深い。
私見だが人員のボリュームだけを見るとかつての日本の(a)組織の幹部候補、(b)その他正社員、(c)日雇い・パートが現在は、(a)組織の幹部候補、(b)その他の正社員、(c)派遣・パート・アルバイトに移っただけのような気がする。要するに(b)の一部が(c)に移り、正規分布型がピラミッド型に変わっている。
ここまでは面白いのだが、雇用感の変化をメディア・ネットでのナショナリズムと結びつけるのはかなり無理があると思う。
私見だがネットの「嫌韓・嫌中」は、メディアの情報フィルタリングに対する異議申し立てと理解した方がシンプルな説明だと思う。 無意味なナショナリズムを話す暇があったら自分自身の雇用問題を考えようよ、というのが本書のメッセージの一つである。しかし有り体に言ってしまえば、政策決定に深く関与できる層以外はどれだけ考えてもナショナリズムと同程度に意味がない。その意味でネットでの言説に言及している本書は的を外していると思う。 また政策的なナショナリズムと、個人のナショナリズムを混交している。前者は内部が一枚岩(=「玉突きモデル」)ではないといったところで意味がない。外交として政府が表出したコメント・行為について、その内部を推測して勝手に解釈してしまうのは危険である。また後者の話は「だからどうした?」としか言いようがない、外部で対応すべきは前者のみであり、個人の話はそれこそ個人の問題であって一般化する必要もない。 政治的な言説が難しいなぁと実感できるのは、本書が出た直後に竹島近海の測量が問題となり韓国政府・政治組織が「玉突きモデル」の反応を国内外に示したことである。いかに内部に多様性があろうとも、外部に表出されるメッセージがアレでは「詳しく知るだけ無駄」だろう。 本書は三国の経済発展と雇用の変化だけでよかった。大半がそれについてかかれているのだから、ナショナリズムを組み込むのは商業的な側面でのみ意味があり、かえって本書の質を下げていると思う。 |
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